2006年11月19日

たまにはモダンデザインもいいけど

徒然草 第18段 人は、己れをつゞまやかにし

人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、
世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。

唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、
水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を

人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、
風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。

また、手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。
孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、

朝には収めけり。

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、
これらの人は、語りも伝ふべからず。

                      ここまで


      徒然草 現代語訳から引用し勝手に注釈をつけました。
 

第18段 たまにはモダンデザインもいいけど

質素に生き、贅沢を避け、財を成すことなく、権力に執着しないことが、
人としてのあるべき姿である。

昔から賢き人が富を持つことはまずない。
唐(中国)の許由という人は、貯えというものを全く持たず、水すらも

手のひらで飲んでいるような有り様だった。
それを見た人が瓢箪(ひょうたん)製の器を与えたのだが、

ある時、それを木の枝に掛けていたところ、風に吹かれて
音を立てたことから、許由は「うるさい」と言って捨ててしまった。

そして再び手ですくって水を飲むようになったという。
耳障りな音を立てる物がなくなって、どれほど心がすっきりしたことだろう。

(許由は偏屈なバカオヤジだと私は思う)

孫晨(そんしん)は、冬場であっても掛け布団を持たなかったので、
夜には一束あった藁を掛けて眠り、朝にはそれをしまったという。

(しまわないと、藁がくずになっちゃうでしょう?
これのどこがすばらしいのだ?)

唐の国の人々はこれらを素晴らしいことだと思ったからこそ書き残し、
後世に伝えたのだろうが、我が国の人々はこういった話を

語り伝えるようなこともないだろう。
(当然です。文化が違うのですから・・・・日本は雅の文化です)

何年か前に、「シンプルデザイン イズ ベスト」というコピーが
日本でもはやりましたが、ある一時のことだから受け入れられるのです。

何故かって、常に揺れ動く「曖昧な日本人」だから・・・。
(参照 11月14日 記事)

私は、こういう質素に生きようとか贅沢は敵だなどという文章は
人間の本質を理解していないか、理解しながらどっかの方向へ

導いていこうとする為政者のような感じがして嫌いである。


1900年ごろのモダンデザインとされる、質素と合理化のデザインは
社会が資本主義社会の工業化へ向かう時代と、覇権主義の戦争化へ

向かう時代背景のなかで生まれてきた、デザイン思想だとされています。
近代工業化の中で、例えば珈琲カップをつくるのにも、それまでの

陶芸家が一個一個手作りで制作していたものを、工場で大量に生産するためには
無駄なものを殺ぎ落とした、アルマイト製の珈琲カップやプラスチック製の

珈琲カップ(あったかどうかは知らないけど)をどうしても大量に生産し、
消費者に売りつけると言う経済主義の中から生まれたデザイン思想であるが、

この辺の詳しいことはデザイン史を調べてみましょう。
唐の国の人々はこれらを素晴らしいことだと思ったからこそ書き残し、

いまの共産主義まで引っ張ってきたんだろうから、それはそれで
他の国のことだけど、その中国から最近しきりに伝わってくる動きに

社会の不満というのがある。中国の社会に波紋を広げ、政治体制を
揺さぶる抗議デモ、スト、暴動などである。

・・・昨日のニュースより
      11月18日20時52分(ASAHI.COMより)・・・
 
中国広東省東洲坑村で役場の土地収用に反発した住民らが役場職員8人を
監禁したため、18日、公安当局が村内に突入して解放した模様だ。

同村では昨年12月、発電所建設に絡む土地収用問題に抗議した住民に
警察隊が発砲し、少なくとも3人が死亡、住民19人が逮捕、起訴された。

                      ・・・ここまで・・・

政治を共産主義にして、一部経済を資本主義にしている中国でさえ
社会不満や不安の間接の最大原因は広範に広がる国民の間の所得格差と、

その格差への対策となりうる社会保障の欠落だといわれています。
共産主義だから、一般国民は質素で倹約し政府や党のお偉方は、

国のためだからと共産主義を主張し、裏で汚職や賄賂やどっかの
「喜び組」みたいに贅沢していたら不満も爆発するって・・・。

この日本も、天の声だとかで談合ばっかりやっていて、役所も
天下りだとか汚職ばかりだと爆発するぞ〜。

北朝鮮も同じだろうけど、人間の意識は常に向上するものなんだろうと
思うのです。だから、質素に生き、贅沢を避け、財を成すことなく、

権力に執着しないことが、人としてのあるべき姿である。というのは
イエス・キリスト様かお釈迦様にまかせて、我々一般庶民は

たまにはモダンデザインもいいけど、次のデザイン社会と
言われて久しいポストモダンのデザイン追求や、

長谷川京子さんみたいな人から

「贅沢ってなんなんでしょうか?」
「あなたと、飲めることじゃないでしょうか・・・」

 ・・・・・・・・・
「贅沢ってすぐそばにあるんですね」


先日サッポロ書いたから今日はアサヒビールで「贅沢日和」新発売。
これは、全くの私の勝手宣伝です。

コピーもいいけど、和室の長谷川京子さん、いいね〜。




(昔の生き方 解説書 徒然草の第18段 

 たまにはモダンデザインもいいけど  勝手解釈でした。)
ラベル:デザイン
posted by 情報建築家・niNaru  at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生・生き方に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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