2006年11月07日

お空の神様につかえよう

徒然草 第17段  山寺にかきこもりて

山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、
心の濁りも清まる心地すれ。


      徒然草 現代語訳から引用し勝手に注釈をつけました。
 

 
第17段 お空の神様につかえよう

山寺にこもり、仏につかえることによって、心にある退屈や
不安が薄れ、消えて行く。また同じようにして、

心に溜まってしまった澱(おり)も癒されゆくような
心地がするものである。


あの本田美奈子さんの1周忌に福山雅治らによる追悼プロジェクトだとか、
「クールファイブ」内山田洋さん、肺がんで今日なくなったそうです。

宗教の問題は、あまりブログで書くべきことではないような
気がするので、私は別荘かどこかの山小屋にこもるという事でも

書こうと思ったけど、よく考えたらそんな所にこもったことも無く
もっぱら仕事部屋にこもることが多いんで、心に溜まってしまった澱は

もう溜まりに溜まって溢れかえっている状態である。

ちょっと、話は一般的な宗教観について記してみましょう。

「あなたの宗教は何?」という質問に対して、日本人の7割は
無宗教と答えるそうである。

だが、そのうちの75%は宗教心が大切だと考えてもいるという。
宗教には、自然宗教と創唱宗教の2種類があるそうだ。

創唱宗教とは特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる
人たちがいる宗教。キリスト教やイスラム教、仏教などを指す。

これに対して自然宗教とは、いつ、だれによって始められたかも
分からない自然発生的な宗教のことを言うそうです。

だが、無宗教のはずが、葬式仏教は一般的だし、正月には何千万人が
初詣で神社を参詣する。クリスマスツリーはもう飾られていて

12月25日までキリスト教徒の真似をする。
人が亡くなれば四十九日や一周忌、三周忌などの法要も忘れない。

これだけ生活や死生観に、宗教の影響を持ちながら、
日本人の無宗教というのは本当に不思議で面白いといえる。

そう思えるようになったのも、いろいろと経験をしてきたからで
小、中学生の頃は時期ごとに宗教を変えるのは、当たり前だと

思っていたもの。皆もそうでしょう?。大方の人は。


欧米人の「無宗教」は「無神論者」に近いのに対して、
日本人の場合には無宗教ではなく、日常化した自然宗教の

「何でも来い、何でも信者」と言えるのではないかと思います。
まっ、この辺のところは歴史学者か何かの本を読めば分るだろうけど

昨日書いたように、日本のムラ社会は徹底して平等が重視され、
良いものでも悪いものでも、極端なものは排除する(いじめ)

徹底した平凡な平等主義が支配的だった。

昔は、出る杭は打たれたけど、最近はどうも引っこ抜かれて
捨てられるようだ。(私も引っこ抜かれた経験があります・・・。)

そうした中では、突き詰めて物事を考える創唱宗教の思想は、
その時々のボスを頂点にしたい奴等にとっては、キリストも

空海も瀬戸内寂聴さん?もなじまなかったんでしょう。
そんなわけで、そのボスらの日常と相容れない宗教は力を弱めていった。

特に明治の天皇崇拝システムは、宗教をさらに弱体化させた。
天皇崇拝として作り直された新しい神道は、表向きは絶対だったし、

いまでも明治天皇を祭っている神社にお参りに行くのは
何故なのだろうかと、考えたことがある人はどれくらいいるのだろうか?

まっ、この天皇崇拝システムは第二次世界大戦の無条件降伏で
弱体化するのだが、この時の価値観が180度違う世界に

なるという神様がただの人になったのだから、なんという人間の
曖昧さ、信じるものは作らないほうがいいなというとてもいいかげんで

日常的な「無宗教」という名の自然宗教が広まっていった。
と、思うのである。

そんな私の父や母に育てられた私も、当然平均的な「無宗教」派に
なってしまうのである。

だから、適当は「適度に的を得ること」だし、いいかげんは
好い加減だし、曖昧さは曖出る味だし・・・・。

クリスマスはお酒が飲めるし、お正月もお酒が飲めるし、
神社へ行けばおみくじをひいて、仏閣にお参りの際にはしっかり

観音様に心の中で願い事をつぶやいていたりする。
先祖のお墓でも、先祖様に何か話しかけてみたり、

なんか守護霊さんに見守りを期待していたりする。
彼女の前では、十字を切って手を合わせるとカッコいいかななんて・・・。

今の子供達には、あるのかどうか分らないが私の頃には
河には河の神様がいて、あやまってから河にオシッコをしたもんだ。

それは、家にも居たし山にも、畑にも海にも居たような気がする。
何か、悪いことをすると「お空の神様がみてるよ」って

きれいだったと思うが、保母さんが怒ってくれたっけ・・・。
今の時代は、そんな神様たちは何処へいったのでしょうか?

電車でうるさいガキンチョを、キッとにらむと「ほら、恐いおじさんが
見てるでしょ」・・・・・俺は神様か???

何か、小中学生のいじめでも談合事件でも、今日はまた小学生の
ひき逃げ事件があったようだが、このどこかで見ている

神様に対して罪悪感を感じないんだろうか?
「デス・ノート」に自分の名前、書かれるんじゃないかと

心配しないのだろうかと思うのです。
そろそろ、結論。

お墓あらしや、教会に火をつける者も神社から盗みを働くことを
する者も、さほどいない日本人は私は大好きです。

お寺も、神社も、教会も、なんだか分らない宗教もなんとなく
愛している日本人は私は大好きです。

(昔オウム・・・いまアーレフ? はキライです。)

創唱宗教の上に、もっと大事な神様が何となく居る。
これが自然宗教の信者であるということなのだろうと思うのです。

だから皆、小さい子供には「空の神様」も「山の神様」も
「海の神様」「木の神様」「花の神様」・・・・「自然の神様」を

きちんと教えていきましょう。言いつづけましょう。
「お空の神様が見てるよ〜」って・・・。

そして、それが代々、ある程度受け継がれていく。
河におしっこする時は「河の神様、ちょっとご〜め〜ん」っていう

儀式は継承されていく。(これ↑、知ってる??)
もはや、それが75%の自然宗教なんだろうと思うのです。




(昔の生き方 解説書 徒然草の第17段 お空の神様につかえよう 

                      勝手解釈でした。)
posted by 情報建築家・niNaru  at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生・生き方に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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