2006年08月23日

「たたづまい」と「しつらえ」

徒然草 第11段 柑子の木
 
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事
侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる

庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。
閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、
大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを

きびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと
覚えしか。
            

                (原文等は自分で調べて。)



徒然草 現代語訳から引用し勝手に注釈をつけました。 



 第11段 「たたづまい」と「しつらえ」
 
旧暦10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれます。
これは全国の神様が会議をするために出雲に集まってしまうので、

日本中神様がいなくなってしまう、ということから付けられた名称です。
新暦11月のことであるがその月は師走を控えて神様が、みんな出雲に

会議で行くのだろうけど、何の会議かというとそりゃあ神様だから
各地で集められたお賽銭を、神様の大親分の出雲大社の神様に上納し

そして、使い道を考えるための会議だと思うが、この会議の事を
「神在祭(かみありまつり)」と呼ばれ、この会議は実際には

旧暦10月の11日から17日までの間にまず出雲大社で開かれ、
次に佐太神社に移動して10月26日まで会議の続きを行うそうです。

出雲大社は大社造りと言って、建築の教科書にも載っているぐらいの
建物なのですが、日本人であれば一度は訪れてみると良いでしょう。

この出雲大社の中には東十九社、西十九社、と呼ばれる長屋状の長い社が
あります。

ここが神様の会議にやってきた全国の神様の宿泊所(ホテル)とされます。
しかし、ほとんどの神様は近くの皆生(かいけ)温泉にいって、

皆、生きていて良かったなといいながら芸者遊びをするのです。


それで、その隙を狙って吉田兼好は神様のいなくなった
愛宕山へ遊びに行こうと栗栖野というところを過ぎたあたりを

歩いていた時のことだそうです。
ちなみに愛宕山は、京都市の北西にあり標高924mの山、山頂には、

お伊勢さんへ七度、熊野へ三度、 愛宕さんへは月参りと歌われている、
火伏の神様として信仰を集めている愛宕神社があります。

果てしない苔の小径を歩いて奥へ突進し、落ち葉を踏みつぶして行くと、
一軒の火をつけたらすぐに燃えそうなぼろい家があった。

木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる滴の音以外は、
全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか、もみじが

飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。

「まったく凄い奴がいるもんだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と
心ひかれてのぞきをしていると、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木が

はえていて、枝が折れそうなぐらいミカンが実っているを発見した。
そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。

それを見たら、今まで感動していたこともばかばかしくなってしまい
「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。ということです。


建築的に「たたづまい」という言い方をします。
現代の状況でも、都会の喧噪から切り離されたたたづまいの旅館に

泊まっていて、何気なく窓を開けると目の前に「キャバクラのネオン」。
他にも誰も来ないだろうという山奥で、良くこんな所で生きているな〜と

私も感じる時があります。でも、どんな所でも皆生きているのです。
吉田兼好は、何に興醒めしたのだろうか?

あばら家に似つかしくない大きなる柑子の木なのだろうか?
それとも、まはりをきびしく囲ったりしていることなのだろうか?

山奥だから、猿から守ろうとしたんだと思えばいいじゃない。
それとも、山奥なのに人間の泥棒対策をしている「人間不信さ」に

興醒めしたんだろうか?
確かに、公園のダンボールハウスの脇の物干しにシルクのパジャマが

干してあったら興醒めするよな。
でも、そのシルクのパジャマはなくなってしまえというのは・・・。


私が、まったく凄い奴がいるもんだ、よくこんな連投で勝ち上がって
いけたな〜と心ひかれている、早稲田の斎藤佑樹投手に感動しているのに

「ハンカチ王子」と呼んで神聖な高校野球を、野球も知らないおばちゃん
連中のアイドルにされて何か興醒めしてしまう対象は、おばちゃん連中と

それを煽る「ワイドショー」だっちゅうに。

建築デザインの言葉の中に、そのデザインを長期的に飽きなくするための
「しつらえ」という潜在的デザイン感というものがあります。

説明するのはちょっと難しいのですが、このしつらえとは、デザインが
持つ美的感覚を目で見える形ではなく心のレベルでやさしく迎え入れる

さまを創ることで、なおかつそれを持続可能化することです。

高校野球のしつらえのデザインは、「青春」「友情」「汗」「情熱」
そして「初恋」のキーワードで良いと思うのは、古いのでしょうか?

彼等が望むキャリアデザインを、やさしく迎え入れるさまを
興醒めしているおじさんたちで創っていくしかないのでしょうか?

こんな興醒めしている「おじさん」に、よけい興醒めしているおばさんや
ワイドショーなどのマスコミもきっといるんだろうね。

本当に、「たたづまい」と「しつらえ」というデザインは
難しいものです。

皆生(かいけ)温泉のいわれ、皆 生きているのです。




(昔の生き方 解説書 徒然草の第11段 「たたづまい」と「しつらえ」

                      勝手解釈でした。)


おまけ 「たたづまい」と「しつらえ」を勉強するなら

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posted by 情報建築家・niNaru  at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生・生き方に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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