2006年08月03日

建物に宿る心

徒然草 第10段 家に宿る心
 
 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、
興あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も
一きはしみじみと見ゆるぞかし。

今めかしく、きらゝかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ
庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよりをかしく、

うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

               このあともまだ続きます

                (原文等は自分で調べて。)


徒然草 現代語訳から引用し勝手に注釈をつけました。 



 第10段 建物に宿る心
 
 住宅の建築デザインについては環境との調和が大事だと
言われているが、この環境との調和について、たとえ一時的に

住む家とわかっていても、どうしようもなく気になって仕方がない。

負け組みの一般市民が閑静に住み続けているところは、降りそそぐ
月あかりも、よりいっそう心にしみ込んでくる感じがする。

現代風にちゃらちゃらしているわけではなく、植えてある木々も
年代物で、自然に生い茂っている庭の草も趣味がよく、縁側のすの子や

透かし彫りのある板塀の案配もちょうどよく、調度類も昔から大事に
使っている感じがしてくるのは、たいへん調和が取れている。

別に、自分の家にプールがついているわけでもないし、
テニスコートがあるわけでもない。

まして、勝ち組みのホテルのプールでもない。
だから夏休みの市営プールという環境は、大切にしないといけない。

長かった梅雨があけて、本格的に夏が来たから母と娘でプールに
行っただけだというのに・・・。

職人さんは、道具をとても大事にするそうです。管理者から見れば
運営管理をまかせた業者も、まして自分の持ち物であるプールまで

本来は、大事にしていかなければならないのは当然でしょう。
相も変わらず「責任取りたくない症候群」の人たちばっかりで

この事件も、ずさんな管理の有り方が暴露されるばかり。
小2女児が死亡した埼玉県ふじみ野市の市営流水プール事故で、

下請けで実際にプールを管理していた「京明プランニング」が
6、7年前から、吸水口のふたの一部をボルトの代わりに針金で

固定していたことが2日、分かったそうです。
同社の佐藤昇社長が明らかにし、認識もしていたという。

京明は、市から管理を受注した「太陽管財」から口頭で仕事を請け負い、
社員が市の担当者に会う際は「太陽管財のスタッフ」と偽っていた。

(こんなん、建設業界じゃ当たり前でスーパーゼネコンだって
派遣社員にゼネコンの作業服着せてゼネコンの社員ですって言わせてる)

また京明の現場責任者も同日までの県警の調べに、脱落したふたについて
「4カ所の固定穴全部を針金だけで固定していた」と話した。

6、7年前から針金を使っていたということを、市営プールなんだから
所有者・設置者の市の担当だって責任逃れは、出来ないだろうに・・・。

道具を大事に出来ない奴等は、本当に下品な奴等だと思います。
戸丸瑛梨香ちゃんのご冥福をお祈り致します。


家もそうだけど、このプールだって流行の最先端のデザインしている
わけでもなく、ゴージャスでもなく、市営だから少しテレビ映りは

古びていたけど、問題は、家と同じでデザインがすばらしいから
そこを管理する人もすばらしいとか、ちょっとボロッチそうだから

管理はいいかげんでいいなどと、もし管理者達が思っていたとしたら
市営プールという環境との調和は、まったく無になっている。

徒然草の頃でさえ、大人数の大工が汗水たらしながら磨いた
珍しい石や、貴重品などを陳列してたり、植え込みの草木まで

不自然で人工的に仕上げたものは、目を背けたくなるし、
見たとしたら気持ちが悪くなってくる。と言っているのです。

環境との調和を図らない建物は、そこまでして細部にわたって
こだわって建築したとしても、いつまでも住んでいられるものであろうか? 

そのうち、すぐに燃えてなくなってしまうだろうと見た瞬間に
感じてしまうような代物である。

たいていの建築物は、住んでいる人や管理している人々の心が
自然と滲み出てくるものだ。


後徳大寺で坊さんになった藤原実定が、ご本殿の屋根にトンビが
来ないように縄をはっていたのを西行が見て「この家の主人は

トンビの糞で汚れるのが嫌なのだろうか?この家の主人は
なんと器の小さい奴なんだ」と言って、その後このお寺に

西行は近寄らなくなくなったと聞いたことがある。
そうこうしているうちに、綾小路宮が住んでいる小坂殿という

ところの建物に、いつのことだか縄をはっていたことがあったので、
あの後徳大寺の坊さんのことを思い出したのですが

「実は鳥が群をなして池のカエルを食べてしまうのを
(綾小路宮が)見て、可哀想に思ったから、こうしているのだ」と

ある人が言っていたので、それはけなげなことだと思った。
もしかしたら、後徳大寺にも何か特別な理由があったのかも知れない。

徒然草の頃でさえ、こんな風にけなげなことをしていると
いうのに・・・・。

「子供達の夏休みのプール」という環境を思い図って、
我々大人はそれを守っていかなければならないのである。

しかし今回のプールの設計は、細部にわたってこだわって
設計したとは思えない代物である。

建築の一番最初にこだわらなければならないことは、
人々の安全であるのは当たり前のことである。

モノを創るものとして、心していかねばならないことである。
再度、戸丸瑛梨香ちゃんのご冥福をお祈りしこの記事を終了します。




(昔の生き方 解説書 徒然草の第10段 建物に宿る心

                      勝手解釈でした。)


ラベル:プール事故
posted by 情報建築家・niNaru  at 00:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 人生・生き方に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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