2006年05月12日

建築の松・竹・梅(特上・上・並)

皆さんは今、建築家になるべく今一生懸命勉強中の身か、
どこかの設計事務所で修行中の身ではないかと思います。

いつか、すぐれた建築家になって、良い建築を世に問う事を
目指していることでしょう。

良い建築とは何かということが、一言では上手く言い表せません。
それは、建築を形づくっている諸条件や要素があまりにも

多いからです。
平面計画、ファサード(外観)デザイン、インテリアデザイン、

構造計画、断熱と設備計画、材料と使用場所の問題、
設計は良くても施工が悪くなる業者の問題、そしてなにより

工事費とクライアントの問題、数え上げたらキリがありません。

これら数多い要素のすべてにおいて、百点満点を取る事は
本当に大変で、困難な事です。

それで、次のような言葉がよく言われます。

「完璧な建築はありえない。」「建築は一つ一つが試作品」

「建築は妥協の産物」

「本当に気に入った住宅を望むなら、三度建てたほうがいい。」

などと言った表現を、聞いたことがあると思います。

しかしそれでもなお、良い建築は建築家の私から見ても
確かに存在し、それに対して松・竹・梅の設計が有り得るのです。


自分でも、恥ずかしい話なのですが同じ設計料でもこっそりと
このお寿司で言えば特上の設計をした時と、並の設計を

した事があるのです。

 今から、4年前にとある学校の設計を頼まれた事があります。
一つは、これから新設する新しい学校の校舎、もう一つは

古い校舎の建て替え計画でした。設計時期もほとんど同じ、
そして、工事の着工も完成もほとんど同じ時期という事で

どちらかを、おろそかにしたというわけではなく気持ち的に
どちらかを松の設計、もう一つを梅の設計という状況に

陥ってしまったというのが、本当のところです。

何故そんなことになったのかというと、新設する新しい学校の
校舎のクライアントは、何の学校を始めるからただ設計して

くれって規模と大きさぐらいの要求しか提出出来ず、
どんな学生、どんな教師陣達とどんな学校作りをして

いきたいのかって言うビジョンも具体的な各諸元も提示できず、
工事が始まってからも設計変更だらけで・・・。

もともと私達も設計途中で、良い設計をしようという
気持ちもなくなって・・・。

(私たちも、ただの人間なのです・・。言い訳を少し)

それに対して、もう一つの建て替えのほうの学校の設計は
クライアントだけではなく、教師陣や事務方、掃除や食堂の

おばちゃんまで建て替えるんだったらこんな風にしてもらいたい。
建て替え後の学校はこうして行きたいっていう皆の希望、

要望がはっきりしていた事。

 建築家は、建築を知らない人々をリードし、こういう空間で
こういう学校運営をしていったらどうだろうか?っていう

決まらない方向の意志決定に対して、プロですからアドバイスは
しなければいけません。が・・・。

でもその学校を運営し、いい学生を教育するのは貴方たちなの
ですから・・・。

松の建築は、建物の隅々まで建築家が悩んで、寝る間も惜しんで
いろんなことを調べたり勉強したりしながら、予算の中で

その建物をずーっと使っていくであろういろんな人々の、思いとか
行動とか、夢などを思い描きながら設計しているものなのです。

だから誰か別な人の設計物件を見に行っても、良い建築と
悪いというより、手抜きの建築って見えてくるものなのです。

若いうちは、設計料のことなどあまり考えずにとにかく
その建物の5年後、10年後の人々の生活や、夢や、希望を

想定し、自分の時間の許す限りミリメートル単位で
コンセントの位置までこだわってみましょう。

ここのところにこだわって、こだわりぬいたものだけが
優れた建築家とよばれることでしょう。


(こだわるのに疲れてきた情報建築家・niNaru)

建築・インテリアデザインを学びたいならここ。>>


posted by 情報建築家・niNaru  at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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