2008年06月17日

人の亡き跡ばかり、悲しきはなし

徒然草 第30段  人の亡き跡ばかり、悲しきはなし


静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

人の亡き跡ばかり、悲しきはなし。
中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭き所にあまたあひ居て、

後のわざども営み合へる、心あわたゝし。・・・・
       

              この後も続きます。自分で調べて。


       徒然草 現代語訳から引用し勝手に注釈をつけました。
 
  

第30段  人の亡き跡ばかり、悲しきはなし


人の亡くなった後ほど物悲しいものはない。
秋葉原の通り魔事件や、一昨日の岩手・宮城内陸地震で

亡くなった方々のご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。

先々週の日曜日のお昼ごろ、私めも近親者のお葬式で
ちょうどお昼ごろは、火葬場の控え室という狭い所に

多くの人たちとすし詰めにさせられている状態でした。

この段のようにちょうど不便なところの火葬場で・・・・
というか、もともと火葬場は不便なところにあるもんで。

吉田兼好のころもお葬式はあったのでしょう。どうも49日の
法要までいたようですが、その49日目には参列者も、

言葉数が少なくなり涼しい顔をして荷造りをすませ、
蜘蛛の子を散らすように帰っていくんだって。

そして、元の家に戻ってから本当に悲しいのに、
「もう忘れちゃいましょう」なんて言われると、なんと

下品なやつなんだと考えてしまうんだって・・・。

確かに人が亡くなるということは本当に悲しいことなのに、
そんなことは平気で忘れたり、忘れた振りをしながら

生きていくのが我々人間の生活の知恵なのでしょうか?


 

年月を経たとしても、彼の人の姿をすっかり忘れて
しまうような事はないが「去った者は日に日に遠くなって行き、

生きている者は日に日に親しくなって行く」との言葉通り、
葬儀の時ほどの悲しさを感じる事もなくなるものであって、

どうでも良いような事を仲間内で喋っては笑いあったりする
ようになるものだ。と昔の人も嘆いています。

今日の何かのニュースで秋葉原の殺傷事件の1週間後ということで、
昨日の秋葉原の状況をレポートしていましたが、もうオタクたちが

萌え系のお姉さんの歌で変な踊りを踊っている状況でした。
事件後の秋葉原の流血の現場を携帯電話で動画を撮っていたり、

もう翌日から無数の車が通行していたり、そしてメイド喫茶も、
電機量販店もそれまでと変わらず営業し続けている。

「客足が減りましたー」なんて言いながら・・・・。

確かに悲しんでばかりじゃ生きていけないということもあるが、
面白半分に「池袋で100人コロス」とインターネットの掲示板に

書き込みした29歳の男や、同じように書き込みをした17歳の
高校生。何なんだ、こんなことをして警察に捕まったのが6件とか。

同じニュースでインタビューを受けていたオタク系の若者が
「犯人の気持ちは理解できる。若者たちのはけ口がない社会が

悪いんだ。」なんて、答えていたけど・・・・。

そんなことを言っているお前だって社会の一員だろうに・・・。
秋葉原の犯人もそうだけど、自分が不幸なのは親のせいとか、

社会のせいだとかで人のせいにして社会を破壊しようというのは
アルカイダやオウム真理教と同じ「テロリスト」だろうに・・・。

「テロリスト」は絶対に許せないし、そんなことを面白半分に
真似して書き込みをする奴らも頭がおかしいんじゃないかと思う。

そして、一昨日の岩手・宮城内陸地震。
まだ、行方不明者が12人で、亡くなった方が10人。

そして重軽傷者は250人を超えたそうです。
生き埋めになった人の生存率が極めて低くなるとされる発生後

72時間がもう少しで来るのですが・・・・。
そして、中越地震の時には避難生活でストレスや過労、

エコノミークラス症候群で亡くなった人の数が50人以上だとか。
なんとか頑張ってもらいたいものだと思うのです。

日本人は自然災害などにはどこか、諦めに似た心境もあるのだけど
秋葉原の事件は、絶対に許せないという感情を持っている人が

多いだろうし、こんな事件ほど忘れようにも忘れられないぐらい
悔しい感情が残るものである。

世界中の20パーセントの地震が集中している日本なのだから
こんな地震がいつ、どこで起きてもおかしくないという。

ひょっとして我々の命なんて、ちょろちょろ燃えている
ローソクの炎のようなものかも知れない。

だからみんな大事にしながら、生きてるだけで丸儲けって
思いながら生きているんだ。

だから、絶対にテロリストみたいなことは許せない。

そんな、今日この頃の我が日本なのだが、吉田兼好の時代から
人の一生は本当に短いもので無常であるといっている。

嵐にむせび泣くような音を立てていた松も、千年を待たずに
薪としてくだかれ、古い墓は耕されて田となりゆく。

そしてその跡さえ残らない。悲しくとも。と

だから、自分の命も人の命も本当に大切にしていかなければ
ならないと思うのです。(あたりまえの事ですが・・・) 

今回は前半の部分しか、勝手解釈が出来ませんでした。
あとはご自分でお願いします。

(昔の生き方 解説書 徒然草の第30段 

   人の亡き跡ばかり、悲しきはなし 勝手解釈でした。)
posted by 情報建築家・niNaru  at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生・生き方に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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